俺と眼鏡と死後の世界 | 世界と日々と君と僕

俺と眼鏡と死後の世界

 何を隠そう俺は眼鏡を着用している。結構長い付き合いで、視力が下がり始めた小学生高学年頃から、一週間とノーメガネな日はない。ちなみに彼女と付き合い始めたのも、眼鏡がきっかけである。斜め前の席に座っていた俺の眼鏡が気になって仕方なかったのだとか。もし結婚式でなれ初め話の一つでもしようもんなら、眼鏡の話題に終始することになるんじゃないかと今から心配しておる次第です。


 

 さて、人間関係をすら眼鏡に依存する我輩であるが、物持ちが異常に悪い。眼鏡も例に漏れず、零号機、初号機、弐号機、参号機、その他数え切れぬ程の戦友を、大破沈黙させてきた実績がある。そうして眼鏡を買い替えるたび、今回こそは、と固く心に誓うのであるが、なんかもうだめみたい。次から次へ吹き飛びつぶれねじれはじけくだけ散る眼鏡たち。戦場で上司にしたくない人№1の称号も甘んじて受け容れよう。


 

 まあ、それでもう何を言わんとしているか、賢明な読者諸氏はお気づきのことと思う、そうです、見事に破壊粉砕してしまったのである、今回も。しかも前回の眼鏡(受験期を共にした、親友)とまったく同じぶっこわれかた、すなわちレンズがフレームから外れてしまうという、地味な壊れ方である。いや別に派手さを求めているわけではないのだけれど、やっぱさ、ブログのネタになっちゃうくらいガッツリ壊れろや眼鏡とか思っちゃいますよね、てへ。



 壊れたのが夜中だったので、翌朝購入した店に持っていくことにし、その日は英語の課題もできないので、仕方なくタモリクラブを見るべくテレビをつけた。が見えん。やべえ、洒落にならんよ、笑えんよ。そういえば、50cmより先の視界はボヤがかかるのであった。ならばと、がぶり寄るように画面に近づくも、そうまでして見たいかタモリクラブ、と心の声がおっしゃるのでやめる。



 もう何一つできないので、あとは寝るだけよ、とロフトベットの梯子に足をかけ、一段目に体重を乗っける、とずるりすべって脛及び顎を梯子にぶつけてしまった。さらに痛さにつんのめりつかまった本棚が体重を支えきれず倒れてきて、ちょっとした惨事の現場になってしまった。精神状態が精神状態なら死を選んでもおかしくない。だがそこはもう我慢して眠りにつく。



 夜が明けて、新しい朝が来ようとも、暗い気分は一向に晴れない。さらに道に出て気付いたのであるが、まっすぐ歩けません。 道とガードレールの区別ができません。夢の中で死の淵をさまよっているような感覚とでも言おうか、とにかく常人が経験しようがないワンダーランドと化してしまったのです現実が。



 そんな状態でいつもの道を歩いていると、ついついネガティブなこととか考えてしまいがちなおれ。すなわち生前分与をどのように成すか、議題はその一極に集中したのである。眼鏡フェチの(将来の)嫁には、壊れかけの眼鏡を、娘には全財産を、息子には薄さ0.02mmの避妊具を。それぞれの必要に応じて考えていると、これはなかなか大変だなと思った。思ったのです。



 ちなみに眼鏡は十五分で治りました。